今週の学校勤務生活は、怒涛の1週間だった。
毎日何かが起きて、メンタル的にも身体的にもかなり疲れが出た。
当たり前だけど、教師は授業だけやってればいいのではない。
喧嘩や事故で怪我が起きた時の対応。その先にある保護者対応。初期対応を誤ると信頼の喪失につながる。
自分の目の前で子供が倒れる時もある。子供の命を守らなければならない。
子供の家庭的な問題。
働いて半年もたたない若造に、子供の身体的、心理的安全、命を守る責任が重くのしかかる。
しかし、教師はそういう仕事である。それが仕事である。
その上で学級経営、授業をしていかなくてはいけない。それは、子供たちの安全と両輪であるため、切り離せない問題である。
そういった事故が起きないよう、起きた後すぐに対応ができる学級をつくっていかなくてはいけない。
しかし、今現在の学校における仕事の量では、自分の生活を守りつつ、それができるとは言い難いのではないかという疑問がある。
職場にゆとりがないと、チームで対応することも不十分になってしまう。
勤続30年以上のベテランの先生も、1学期は自分がノイローゼになりそうだったと言いながら僕を慰めてくれた。
人のことを考えられる余裕がない。そんなことをしていたら自分が崩れてしまう。そんな現場の悲痛さは日本どこでもよくあることなのではないか。
やらなければいけないことも多い。求められることも多い。そのための時間は用意されていない。
でも、それを超えていくのは他ならぬ自分自身。誰かが変えてくれるのを待ってはいけない。自分を変えていくしかない。助けてくれる人もいる。自分から助けてほしいと言う必要がある。
今回の経験は大変勉強になった。苦い経験ではあったが、成長の糧にしたい。