サバイバル教師日記

教師3年目 日々の挑戦を書きます。

他人と比較すること

 他人と比較してしまうことはだれにもあると思います。

 例えば僕は字がかなり汚いです。字が上手になりたいなぁと思っています。友達や先生たちの字を見るといつも上手に見えます。でも、だからといってめちゃくちゃ落ち込んでるわけでもなく、いつか全てのものが電子化して字を書くことがなくなるだろうからいいやなどと楽観的に考えています。

 前のブログでも書きましたが、人間が幸せであるために必要なものは良い人間関係であることが分かりました。お金持ちになることでもなく、有名人になることでもありませんでした。ありのままの自分を受け入れてくれる人がいればそれで十分なのです。

 人が比較するものには、例えば学歴だったり親の収入だったり運動能力だったりが挙げられます。

 僕は今のところ最終学歴が上越教育大学になりそうです。僕はそこに劣等感を一ミリも抱いていません。誇りに思っています。親の収入は平均だと思います。十分幸せです。大学に行かせていただいているだけで本当に感謝しています。僕は足は遅いですし高校野球ではずっとベンチ外でした。でも大学で新しいスポーツに出会い今とても楽しんでいます。

 なんで劣等感を抱かないのか。それは人と比較をしていないからです。正確に言えば比較をして馬鹿にしてくるような人が周りにいないからだと思います。そして、自分は相手を比較して馬鹿にすることは絶対にしません。だから相手が馬鹿にしてくることはないと思っています。もしあったらその人と距離を取るだけです。

 僕は教師として、学校に比較をしない文化を作ることが必要だと感じています。ありのままの相手を受け入れることは、ありのままの自分を受け入れてくれることにつながります。 

 まずは自分から行動しないとです。そういった人を育てていきたいです。

人生を幸せにするのは、よい人間関係であるという結果

 僕は、経営者でありYoutuberのマコなり社長の動画をよく見ています。彼の動画は仕事の生産性をあげる話や、人生をどう生きていくか、ユニクロや無印、ニトリなどの商品紹介動画も上げておりいつも動画を見るのを楽しみにしています。

 昨日見た動画で『学び合い』にとても通じるところがあったので紹介したいと思います。 

 

youtu.be

 煽ってるようなサムネで少し驚きます(笑)

 今回の動画はTEDトークハーバード大学教授ロバート・ウォールデンガーの「人生を幸せにするのは何?最も長期にわたる幸福の研究から」をもとにマコなり社長が話しています。

Robert Waldinger: What makes a good life? Lessons from the longest study on happiness | TED Talk

↑TEDトークの動画です。

 

 動画の内容を簡単にまとめると、75年間、研究対象742人というとんでもない長期にわたる研究から人々が幸せに、健康になるには何が必要なのかを突き止めた、そして何が必要だったかというと

「よい人間関係」であるということだったらしいんです。

 幸せであるためには、有名になることでもお金持ちになることでもありませんでした。

 人間関係と健康は密接に関係があるということが分かり、3つの事実があります。

①良い人間関係は体によく、孤独は人を殺す。

②良い人間関係は量ではなく質

③良い人間関係は脳もよくする。

 詳細は割愛しますが、健康であることは食習慣や生活リズもだけが関係しているのではなくて、よい人間関係を作れているということが将来の健康につながっていくということです。健康であることは幸せであるということにもつながってきます。

 でもただ健康であったら幸せである、とは言い切れませんよね。マコなり社長は、なぜ健康が幸せに直結するのか、こう話しています。

「健康を害すると不幸になるのは、他人が当たり前にできることができなくなるから。人間が不幸と感じるのは他人と自分を比べているから。よい人間関係を作れば他人と比較しなくなる。よい人間関係とはありのままの自分を受け入れてくれる人をつくること。」

 ありのままの自分を受け入れてくれる人がいれば、もし体のどこかに不自由があったとしても、自分は健康であり幸せであると言えます。あなたのままでいい。あなたが生きていればそれでいい、と言ってくれる人が周りにいれば幸せですよね。

 

 多くの人が生まれてから成人するまでに多くの人間関係を作る場所、それは学校です。自分を受け入れてくれる人のつながりを多く持てることが出来れば、子どもたちは将来健康に幸せに生きることができると思います。『学び合い』では、全ての教科学習、学校での時間を人とのつながりを生む時間であり、幸せに生きるための時間であるとしています。人とのつながりを生むには、相手が自分を受け入れてくれるのを待っているだけではだめです。自分が能動的にgiverになる必要があります。それを学ぶのも『学び合い』です。

 

 人とのつながりが幸せを生み出してくれるということが研究として結果が出ていることを知りました。全ての子どもたちが幸せに生きるために、人とのつながりを持てるためにはどうしていけばいいのかを、教師になる身としてこれからも考えていきたいです。

 

宿題の是非

 最近学部の友達と宿題の是非について話すことが多い。宿題はいらないっていう友達は一人もいなかった。

 逆に宿題を出さなかった先生はいたかって聞いたら、いたっていう人も多かった。僕も小学校3年生の時の先生は、金曜日に土日にあったことの日記を課すだけでそれ以外の宿題は全くなかった。だから3年生の時は宿題がなくてたくさん遊べたような気がする。

 宿題は必要っていう友達になんで必要なのかって聞くと、

・家で勉強する習慣をつけるため

・漢字を覚えることができるから

・計算練習をして早く計算が出来るようになるから 

・宿題を出さないと勉強しなくなるという。

 

 学校で空いた時間に宿題を終わらせたり、漢字ノートで部首だけまず全部書いてあとで部首以外のところを書くっていうことしなかった?と聞くとみんなやったことがあるという。

 宿題はみんな同じことをやるもの。苦手なことだったり分からないところは人によって違う。簡単すぎてすぐできてしまう子もいれば、できなくて嫌になって家でやらなくて学校で先生に怒られる子もいる。

 学校の先生になる人は宿題をなんなりと出してきた人が多いと思う。出せない子の気持ちがあんまり分からなく育ってきたような気がする。

 宿題をしっかり出させるために、教師がスタンプやコメントを付けて書いてあげると子どもたちはそれがインセンティブになって宿題をあまりやらない子もやってくるようになるという意見もあった。目的はそれで習慣づけて結果的に学力が上がればいいってこと?と聞いたらそうだと言っていた。

 

 『学び合い』をしている先生方は宿題を出しているのだろうか。『学び合い』の考え方だったら宿題は必要ないと言えそうだけど、実際現場にいる先生方はどうしているのか気になる。

不適応生徒??

 学校現場で「不適応生徒」とという言葉を先生から耳にした。

 その言葉にとても引っかかった。

 朝の会議で生徒指導案件について話している時だった。不適応生徒についてどう対応するかの話だった。

 不適応生徒と、陰でレッテルを貼っているのはいかがなものか。ゴーレム効果で生徒はますます学校やクラスに入りにくくなってしまうのではないだろうか。

 そもそも不適応とは何なのだろうか。教師の話を聞けないということか。クラスに入って授業を受けることが出来ないということか。 

 学校という枠組みに適応できないから不適応。学校という価値基準で生徒を縛っているだけなのではないだろうか。その生徒が学校に不適応だからと言ってその子の人生の価値は決まらない。

 教師はそういった名前を付けて子どもたちを見てはいけないと思う。すべての子どもたちを学校に適応させることが教育ではないと思う。

「これで最後」が多い

 自分は今大学4年生です。人生の夏休みと言われる大学生活がもうあと1年を切っています。

 今の時期はめちゃめちゃ過ごしやすい気候で、晴れてるだけでいい気分になりますね。

 実習が終わり、先日久しぶりにアイスホッケーをしました。久しぶりにアイスホッケーをすることももちろん楽しかったですが、何が一番楽しかったかというとみんなでくだらないことで笑い合ったことです。実習の時は気も張っていて馬鹿みたいに笑うことはなかったので、久しぶりにみんなと笑い合ったことが久しぶりでとっても楽しかったです。

 アイスホッケー部には恒例行事があって毎年この季節になるとそろそろあれをやるときが来るなって思います。でも去年からコロナウイルスの影響でできないこともありました。何とかできることもありますが、もうこれが最後かと思うととても悲しくなります。

 ゼミ室で勉強をしていると先輩が顔を出してくれます。色んな話をしたり馬鹿みたいな話をして盛り上がります。これもこの1年で最後かと思うと寂しくなります。

 来年からは地元で教師になる予定です。地元に帰ったら地元の友達はいますが、大学生活を共にした友達や先輩後輩となかなか会えなくなると思うと悲しいです。

 今近くにいる友達と一緒にいるのはすごい楽しいですが、一生続いていくわけではありません。だからこそ今を大切にして過ごしていきたいです。

 そして一生付き合っていくであろう伴侶を大切にしていかなきゃですね。

中等教育実習を終えて

 3週間の中等教育実習が終了しました。長いようで短かったあっという間の3週間でした。学校現場に実際に入ってみると色々と見えてくるものがありました。

一斉授業

 専門教科は英語で授業を8時間やらせて頂きました。自分の中で一斉授業をすることは苦手意識があったのですが、授業を重ねていくにつれてだんだんと落ち着いて授業をできるようになってきました。しかし『学び合い』を知っているからこそ、一斉授業の限界を改めて感じました。

 自分の授業は完全に中の下に合わせる授業でした。自分の授業で寝ている子も何人かいました。ワークシートに全く書いていない子もいました。一方で僕自身一番きつかったのが、塾でもうすでにやっていて退屈そうにしている生徒の顔を見ることでした。その子はそんなこと思っていないかもですが、その子の時間を奪ってしまっていると思うと辛かったです。実習生の授業だから生徒もみんな協力的で頑張ってくれます。なんとなく授業を50分成立させることもできます。でも多くの子ども達を見捨ててしまっているのが教壇から見えてしまうのは本当に辛かったです。

 クラスにあまり入れず授業もあまり受けられない生徒が僕の授業の時に来てくれたことがありました。でもペア活動を入れた時に隣の人と喋れないため教室を出て行ってしまったことがありました。悲しかったです。申し訳なかったです。人間関係を固定化させてしまうことの恐ろしさを知りました。

『学び合い』

 英語の授業では『学び合い』を取り入れることは出来ませんでした。しかし学活の時間を一時間持たせていただいた為、これはチャンスだと思って『学び合い』をすることが出来ました。

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 人生でお金はいくら必要なのかを考えるということをやりました。授業の最初と最後の語りでは相当くさいことを言いました。

 なんでお金について考えることが大事なのか、それはお金について考えることは自分の人生の幸せを決めることと同じ。幸せに生きるためにはお金が必要。お金を考えると結婚や就職のことも考えなければいけない。それは君たちがこれから待ち受ける高校選択にも関わってくる。

なんで全員達成を求めるのか、それはこの授業は人生について考えるのと同じでありクラスのメンバーを見捨てることはその人の人生を見捨てることになってしまう。今の時代は不確実な時代であって終身雇用もなくなってくる。将来自分を救ってくれるのはこのクラスの人かもしれない。

 本気で語りました。真剣に聞いてくれた子もいると思います。でも集団としての動きがあまりないまま終わってしまったように思えました。課題に際限がないためどこまで書けばいいのか分からない生徒が多かったと思います。その中でも早く終わらせて友達にサインをもらいに行ったり教えに行っている生徒もいました。そして一人一台タブレットを持っているため各々調べてしまっていたことがありました。課題を授業の前までに生徒に知らせておいてワークシートを配っておき、タブレットを一人一台使っていたら効率が悪いよねなどと伝えておくべきでした。

 そこまで思うようにはいかなかったですが、生徒の感想に一人も見捨てないクラスを作っていきたいと書いてくれた子もいました。分かってくれる子に一人でも伝えれたことはよかったかなと思います。

中等教育実習を終えて

 教師としての仕事はやりがいは必ずあるしやっぱり学校って楽しいと思いました。でも大変な場面もたくさん見えました。西川先生もおっしゃっていましたが教育実習の3週間よりも教師として働く最初の2日間の方が為になるのは本当だなと思います。仕事内容も生徒からの対応も違うだろうなと思います。

 初等教育実習の時も思いましたが、自分は本当にいい先生に恵まれます。自由に『学び合い』ができたのも先生が自分を信じてやらせてくれたからです。3週間楽しくできたのは担当の先生のおかげでした。

 約1か月後には教員採用試験が始まり来年には教師になる予定です。この経験を少しでも生かせるようにしていきたいです。

本気

 昨日西川先生とお話しさせていただきました。実習についてお話しさせていただきました。

 ひとつ前のブログにも書きましたが、自分の入ってくるクラスには何個か空席があります。また、勉強ができる子と勉強ができな子の差も激しいなと感じています。

 正直、僕にはその子たちを救えることは自分にはできないと思っていました。

 何を弱気になってるんだ俺。

 

教育実習を終えて - Story of My Life with Education

↑のブログでは小学校実習で感じたことを書きました。小学校実習では一時間丸々『学び合い』を行いました。『学び合い』の子どもたちの行動に感動しました。

 僕はこの感動を忘れていたのかな。授業スタイルが縛られているからと言ってできないわけではありません。子どもたちに語ることは出来ます。たった10分だけの活動だけでも。前後に大切なことを伝えることが出来ます。分かる子に届けばいい。

 実習の期間はたった3週間しかありません。子どもたちが学校に通う日の少しにしか携われません。でもだからと言って目の前の子どもたちを見捨てるわけにはありません。

 もう一度本気で子どもたちに語りたいと思います。