サバイバル教師日記

教師3年目 日々の挑戦を書きます。

宿題の是非

 最近学部の友達と宿題の是非について話すことが多い。宿題はいらないっていう友達は一人もいなかった。

 逆に宿題を出さなかった先生はいたかって聞いたら、いたっていう人も多かった。僕も小学校3年生の時の先生は、金曜日に土日にあったことの日記を課すだけでそれ以外の宿題は全くなかった。だから3年生の時は宿題がなくてたくさん遊べたような気がする。

 宿題は必要っていう友達になんで必要なのかって聞くと、

・家で勉強する習慣をつけるため

・漢字を覚えることができるから

・計算練習をして早く計算が出来るようになるから 

・宿題を出さないと勉強しなくなるという。

 

 学校で空いた時間に宿題を終わらせたり、漢字ノートで部首だけまず全部書いてあとで部首以外のところを書くっていうことしなかった?と聞くとみんなやったことがあるという。

 宿題はみんな同じことをやるもの。苦手なことだったり分からないところは人によって違う。簡単すぎてすぐできてしまう子もいれば、できなくて嫌になって家でやらなくて学校で先生に怒られる子もいる。

 学校の先生になる人は宿題をなんなりと出してきた人が多いと思う。出せない子の気持ちがあんまり分からなく育ってきたような気がする。

 宿題をしっかり出させるために、教師がスタンプやコメントを付けて書いてあげると子どもたちはそれがインセンティブになって宿題をあまりやらない子もやってくるようになるという意見もあった。目的はそれで習慣づけて結果的に学力が上がればいいってこと?と聞いたらそうだと言っていた。

 

 『学び合い』をしている先生方は宿題を出しているのだろうか。『学び合い』の考え方だったら宿題は必要ないと言えそうだけど、実際現場にいる先生方はどうしているのか気になる。