サバイバル教師日記

教師3年目 日々の挑戦を書きます。

悪気はない

 中学校の頃、学校の教育目標が「学び合い」だったような気がします。二重鍵括弧の方ではありません。おそらく学びの共同体の方だと思います。

 ですから当時はほぼすべての授業を4人グループで授業を受けていました。

 あるとき担任の先生から個別にこういわれたことがあります。「○○さん(女の子)がグループで会話の輪に入れていないようです。発表する内容などはグループのみんなで考えましょう。」

 自分ともう一人の男子で先生から与えられた課題を話し合って決めていたことが多いかったです。その女の子はあんまり意見を言えてなかったりしていたような気がします。でも、僕も悪気があったわけではありません。意見を出さないと発表で恥をかくからです。その女の子ともあんまり打ち解けておらず、何か話しにくい壁みたいなのはあった気がします。女の子も言いたいことがあるけど言えないようなもどかしさがあったようなそんな印象を覚えています。

 対人関係には相性があります。この人にはずばずば言えるけどこの人には言えないってのは誰しもあります。また、このグループにいたら積極的に活動する方だけど、このグループにいたら消極的に関わってしまうということもあります。自分で自分がいる場所を決めることが出来ずに、相性が悪かったり消極的にしか関われない場所にいると居心地が悪くなりストレスが自分にも相手にもかかってしまう、そんな自分の中にある記憶を思い出しました。

 あの時の女の子には申し訳なかったと思っています。でも悪気はなくて強制的なグループ化による弊害もあったのではないかと思います。