2Fにある生物の進化研究室という展示場では、なにかをなくすこと(退化)で進化してきた生物たちを展示していました。
入口の看板には、
「進化とは、大きくて強くなったり、速く走れたり、頭が良くなったりすることでしょうか?いいえ、進化とは、言い換えれば『環境に合わせて変化していくこと』です。」
と書かれていました。
入口の時点でなにやら真面目な話がありそうな予感。
入ると、退化ってナ二?という看板がみえました。
「『退化』とは、何かの機能や器官などが消失してしまうことです。しかし、『消失』や『退化』=『劣る』とは限りません。むしろ、何かを無くすことが進化に繋がることもあるのです。」
自分の仕事に繋がりそうなナニカが見えてきそうです。
退化して進化した生物が展示されていました。
『見えない』ではなく、『見ない』を選択ブラインドケーブ・フィッシュさん。
『足』を捨て、強みを得たアシナシトカゲさん。
『泳げない』ではなく『泳がない』という戦略で生きることを選択したミナミトビハゼさん。
そして、ヒトも退化しているところがあるんですね。
写真の右下には大事なことが書かれています。
無駄なものを退化(消失)させるのも進化と言える。
生物は、自ら自分の体を退化させることによって、生き残る戦略を生み出しているんですね。
教師という仕事でも、この生物の進化からヒントをもらえることは多くあると考えます。
板書、発問、教材研究。
標準時数、英語教育、情報教育などなど
増やせば増やすほど、極めれば極めるほど、子供たちがこれからの社会を生き残れるようになると考えられています。
しかし、先ほど見てきた生物の進化的に、増やせばいいってもんではないということが分かります。逆に、何かを減らすことで生き残る戦略を導き出せることが分かります。
僕が大学で学んできた、『学び合い』という教育理論は、教師として必要だと考えられてきた板書、発問、教材研究を削ることで、子供の主体的・対話的な学びを生み出し、人同士の繋がりを生み出そうとしています。そして、その繋がりが子供たちの一生涯の幸せを保証すると考えています。
『学び合い』が進化論と合致するのは、『学び合い』を考えた師が大学で生物学を学んでいたことに起因するのは納得です。
水族館で面白い生き物を見ていたら、自分の仕事に直結する学びも得れました。
沼津港深海水族館のエースであるシーラカンスにはほとんど触れませんでしたが、シーラカンスの歴史もとても興味あるものでした。
静岡に住んでいますが、沼津に観光に行ったのは初めてでした。
楽しかったです!