人は、人を喜ばせた対価としてお金をもらっています。
パン屋はパンを食べた人が喜ぶことでお金をもらっています。
サッカー選手は、観客が感動することでお金をもらっています。
教師は?
教師は子供たちが幸せになることでお金をもらっていると言えるでしょう。
そう考えると、とっても素敵な職業です。
多くの人の幸せを創り出すことができるのだから。
最近聞いた話。
教員志望で大学に入って、教員にならず、一般企業や役所に就職する学生が増えている。
教育学部出身の学生は採用される率が高いそうだ。
なぜなら、「上司の言ったことを文句を言わずにできる人が多い」からだそうだ。
この時点で僕はちょっと嫌な感じがするけど、確かにそうだよな、とならざるを得ない。
学校に適応してきた人間の中に教師を目指す人は多い。そして学校というものは、やらなければいけないことが多い。それは自分がやりたいものではないことの方が多い。でも先生がやれというからやる。そういう子は先生に好かれる。学校が楽しいと感じる。
そういう現実はあると思う。
自分が教員になった立場としてどう思うか。
赤裸々に話すと、僕の授業で、本ばっかり読んでいる子がいる。僕が話していても本を読んでいる。注意しても5秒後には読んでいることもある。教師として情けないと思う人は多いでしょう。子供が聞きたいと思う話をできていないのでしょう。
でも僕の少年時代だったら、聞きたくない話でも、怒られたら聞こうと思っていたと思う。怒られるのは嫌だし。だから、その子がうらやましく思う時もある。誰かに言われても自分の好きなことをやりたい気持ちが勝って、その気持ちに素直に行動しているのだから。
しかも、その子はテストが抜群にできる。本を読むだけでなく、僕が一生懸命話しているのに、ノートに落書きばかりしている。なのに、意外と僕の話していることも覚えていたりする。
まあ、僕の話なんかは聞かなくてもいい。その方がその子にとって絶対いい。でも、その子の能力を他の人の為にも使ってほしい。そして困ったときは誰かの力を使えばいい。そんな力をつけてほしい。だからそのために学校に通っているんだよと。
そう、その子にもみんなにも伝えているからこそ、徐々にその子もその子の周りも繋がりが生まれてきているなと感じる。
僕たちが育てるのは従順な犬なんかじゃない。僕のコピーでもない。
繋がりの中で生きる、個性溢れる、幸せに生きる人なんだ。
まあでも、ペーペーである僕だって、露骨に目の前で本読まれたら、聞いて~ってなっちゃいますけどね(笑)
まあこんなユニークな子たちがいるクラスの将来が楽しみです。
「人のいいところや得意なところを見つけて上手く伝えてあげる」
って言うのはかなり高度な技で、大変です。
しかし、教師はそれを30人近く一気に書き上げる時が来ます。
所見です。
ほんとに1人でやるのは大変です。いくら何かで蓄積していたとしても、あまり書けない子はいるのは当然だと思います。
そこで発想の転換。
その子をよく見てるのは、他の子供たちです。
だから、いいところを見つけるって言うのは子供たち同士がやればいい。
教師はそれを上手く言い直して書く事ができればいいのかもしれません。
まあこんなこと何年も前からたくさんの誰かがやっていると思います。
これは昨日車を擦った時のラーメン屋の写真。
色々ショックだったけど、ラーメンはめっちゃ美味しかったです。
そういえば、もう一個不運なこととして、昼寝したら夜全く寝付けず朝を迎えました。
今日はついてないことが色々ありました。
①先輩と一緒に行ったラーメン屋の駐車場で、車を擦ってしまう。
②学校のエアコンを消すのを忘れていてもう一度学校に行く。
車は結構ショックでした(笑)
しかし、そこまで目立たないのでまだ良かったのかなと。他の車に当たったり、事故とかじゃないからまだラッキーな方です。自分の運転を見直すきっかけにもなりましたしね。
エアコンの消し忘れも、まだ気づけたことが幸いです。また、最近Amazonオーディブルも始めたので、車で読書を聴けたので、家に帰ってダラダラ過ごすよりもましでした。
Amazonオーディブルで聴いている「夢をかなえるゾウ1」は中学生の時に読んで、そこから読書って面白いって思えた本です。
その夢をかなえるゾウで、「失敗や不運だなと思うことも、運が良いって思うことが大事。声に出して運が良いと言うぐらい勢いがあってもいい」とガネーシャが言っていました。だから車の中で大声で「俺は運が良い!」と言いました(笑)
「自分、気が抜けてるから気いつけよ」と神様からのメッセージだったのかもしれません。
まだ今日には終わりがないのでビクビクしてます。
今日は給食ではなく弁当の日でした。
隣のクラスが、席を向かい合わなければ好きな人同士でくっつけてもいいよとやっていいたらしく、自分たちもしたいならそうすれば?と子供たちに任せました。
始め、楽しそうに席を移動する子がいる傍ら、一人ぼっちになりそうな子がいました。
どうするのかなぁと僕は何もせずいました。そして気づいたら、横一線で並んでいる巨大な列と、扇形になっている男子グループの2集団ができあがっていました。その2集団で確実に分断されいるわけではありません。
僕は何もしてないし何も言ってませんが、誰も見捨てないことは体現していると感じました。
いつも授業で上手くいってないなぁと思う時もくよくありますが、この瞬間を見れただけで、今日、そして今までよくやってきたんだなぁと思いました。
少し前の懇談会では、保護者の方一人ひとりに喋っていただきました。
一人ひとり僕に何かを言うのではなく、他の保護者の方に向けて話していたのが印象的でした。
「今まで人の前で話すことができないぐらい恥ずかしがり屋だった我が子が、普通にみんなの前で話している姿を見れて驚いた。」
「放課後も色んな友達と遊ぶようになったり、昼休みも遊ぶようになったと聞いて、子供の世界が広がったと思う。」
「毎日学校が楽しいといって帰ってくる。学校に行きたくないと言うことはない。」
このようなことを話す保護者の方が多くいました。
もちろん、僕に対してもっと不満はあると思います。みんなの前で話すので、そういったことは話すことができない人はいらっしゃったでしょう。でもこのプラスのコメントは他の保護者の方にも僕にとっても有難いお言葉でした。
勉強を通じて仲間が増え、素の自分をだせるような空気を少しでもつくり出せたのかなと思います。
そもそも社会に出て何も知らないような若いお兄ちゃんに自分の子供を預けるしかなく、それでいて温かく見守っていただいたことに感謝しかありません。
教師1年目で担任させていただいたこの子たちのことは一生忘れないだろうし、あと残りわずかですが、全ての子供が幸せに生きられるように精一杯やらさせていただきます。