一日一日と、集団の成熟は日に日に増している。
心から子供たちを信じれるようになってきた。
小学校2年生でもここまでできるんだと誇りに思える。
子供たちが僕に自信を持たせてくれる。
やっぱりこの方向性で間違っていないんだと。
子供たちが結果で表してくれる。
国語の授業では、「全員が、友達3人以上に自分の書いたものについて感想をもらうことができる」というめあてでやることが多い。
3人以上に感想を渡してあげる、のではなく、3人から感想をもらうのように、自分一人だけがんばってもめあては達成できないけど、一人一人が全体を見渡さないとできないめあてになっている。感想を渡してあげるだと、誰かがもらうのが多く、誰かが少ないという状況が起こる。感想をもらうだと、みんなが読まれるという状況を生み出し、仲間を思う意識が芽生える。
3学期の初めの授業は「詩」の授業が多いと思うが、2年生では、図書室の詩の本から、自分が気に入った詩を選んで、なぜ選んだかの理由と共にカードに書き、友達と交換して読み合うというものだった。
子供たちにどうやって読み合いたい?と聞いたらいつものように席を立って、自由に付箋で読み合うやつがいいと言ったので、今日もやってみた。
友達の詩を読んで、感想を一生懸命書いてあげていた。
まだ3人からもらってない!というと、すぐに駆け寄る子供がいる。
感想もただ「面白い」とか書く子はほとんんどいなくなって、相手が喜ぶような感想を書く子が増えた。「これもらって嬉しかったらぁ」と聞くと、「うん」と照れながら言っていた男子がいて、かわいかった。
昼休みもトイレの花子さんがいるとかなんとかで騒いでいて楽しそうでした。
オンラインゼミのアーカイブ動画を見ていて、シンプルだけど、結構心に響いた言葉。
「それをしたところで子供の人生は変わらない」
その前後の文脈はちょっと忘れてしまいました。
でも、自分が何かしなきゃいけない、これもやらなきゃいけないと視野が狭くなっている時に、この言葉を思い出すと、
「あ、これしたところで、子供の人生は変わらないかも。自分ががんばってるように見えるだけかも。」
と思えます。心がフッと軽くなるのを感じます。
自分が個に対して、集団に対してがんばって何かをしようとするのではなくて、子供たちが自然と動き出せるような、寛容さと広い視野を持つことが大事なんだと思います。
地元に戻ってきて、友達と遊ぶこともありますが、その友達の大体は、野球部で一緒だった友達です。
逆に言えば、野球部で一緒じゃなかった人とは、今ではあんまり付き合いがないということです。全くないわけではなくて、少しはいますが、それでも少ないと思います。
今でも遊ぶ友達がいることは有難いですが、部活でしか一生涯付き合っていく仲間が得られなかったのは事実かもしれません。
成人式の同窓会以降、中学のクラスメイトと集まることはありません。
知人の多様性に欠けることは、みんなにとって損なことでした。
部活で得れる友達が多いのは、部活では目標に向かって全員でがんばり苦楽を共にし多くの時間を過ごしてきたからです。
それを学校の授業で、そのような集団をつくる。部活のような授業、クラスをつくっていく。
今持っているかわいい子供たちが、困った時に助け合える集団をつくっていくのは僕の役目です。
今日は人生初の定着度調査でした。(監督側)
丸付けと、調査報告(正答率が低い問題がどれか、考察と分析)をするのが大変だなと思いました。
子供の時は、なんとなく受けてたテストだけど、先生は大変なんだなと思いました!(笑)
丸付けをしていると、ケアレスミスが非常に多いと気付きます。いつものテストでもそうですけど。
どうしたら、ケアレスミスがなくなるのかなぁ。
見直しの仕方が分からない。テストの点数そんな気にしてないから、見直しする必要性を感じない。
そう思ってる子が多いかもしれません。
やっぱり、日頃の授業から、クラスでテストにおける目標を持たせること、そのためにどうしたらいいかを考えさせることが大切だと思います。
「全員が80点以上とれるようになる。」と掲げたら、他の子が変なところでミスしないように教えてあげることができます。
かけ算の問題なんて、九九を覚えていなくても、テストの点数をとることは可能です。
そのための方法は子供が思いつきます。
そういう協力プレイを授業でしていくことがケアレスミスをなくしていく方法だと思います。