サバイバル教師日記

教師3年目 日々の挑戦を書きます。

ペナルティ

『学び合い』のセオリーで、「時間になったら全員達成ができていなくても、終わりにする。」というものがある。

時間を越してもできるとなると、無限に時間があると子どもたちが思い、甘えが発生してしまうからだ。

 

しかし、最近ではあえて、時間が過ぎても全員が達成できなかったら、全員が終わるまでは次のことをやらせない、ということをしている。

なぜなら、逆に、全員ができなくても別にいいんだ、という甘えがあると思ったからだ。

「全員達成とか言ってるけど、できなくても次に進めるなら別に俺、私関係ねえし」という空気が作られている。

だから、あえて、時間は意識させるけど、もし時間になってもできない場合は、休み時間だろうがプールの授業だろうが、関係なくやらせている。

全員が達成しなければ終わらないという状況下だと、必ず関わらないと終わらない。

 

時間になっても達成できていないのは、大体、タブレットで遊んでいたり、やることがまず分かんなくて手が止まっている子だったり、なんらかのこだわりがある子である。

そして、僕が時間になっても授業を終わらせないと、子供たちは

もっと早くその子たちに声をかけて、「やろうよ」と言うべきだった

ということを学ぶ。

 

こういうことをやるときは、課題が「絶対にやろうと思えば全員ができること」であることが条件だと考える。なぜなら、本当にその子ができないってことを無理やりやらせるのはよくないから。

でもまあほとんどの課題が、絶対にやろうと思えば全員ができることであるのだけれど。

 

これは一種のペナルティだし、副作用も大きいかもしれない。全員が同じ時間に同じことをやらせるなんて、工業化社会的な考え方かもしれない。

しかし、ちょっとこうしたこともしないと、他者に目を向ける必然性がなく、子供たちが本気で折り合いをつけて達成しよう、と思わなくなってしまうことを恐れる。

 

本気で関わった45分間か、本気で関わろうとするのが見えない45分間か

どちらが子供たちにとって得なのか。

 

 

子供たちの良いところは、遅くなってみんなの時間を奪っている子に対して、きつい言い方をせず、できるように声をかけてあげるところ。

それは自分にも非があり、その子にきつい言い方をしても損であるということが分かっているから。

 

1学期、子供たちが学校に来るのはあと5日間。どれだけ成長できるか。