サバイバル教師日記

教師3年目 日々の挑戦を書きます。

学食上の議論

いつも大体同じ友達と学食でお昼ご飯を食べています。あと何回学食で一緒にご飯を食べられるのでしょうか。

 

今日、きっかけは忘れましたが、自分達が4月から学校で働く上での授業についての話になりました。僕のその友達は、僕が西川研究室っていうのを知っていて、『学び合い』も少しは知ってくれています。

友だちは、

「『学び合い』は確かに理想ではあるよね。でも、全部『学び合い』ではできないんじゃないかな。集団のレベルが高くないとできないと思う。国語とかだったら『学び合い』は出来ると思うけど、算数の九九とかは教師がやっぱり教えてあげないと。」

僕は突っ込みたいところ満載でしたが、突っ込みすぎることはしません。少しは突っ込みましたが。

でも、ふと思ったのは、やっぱり普通に教師になろうとしている人は、九九とか国語とかの教科レベルで授業を考えているということです。そっちの方がマジョリティです。

西川研究室にいる人、『学び合い』を実践している人は、教科の枠組みで授業について考えていないと思います。子どもたちの一生涯の幸せ、これからの社会で求められる力をつけるにはどうしたらいいかを考えた授業を構想していると思います。今はマイノリティかもしれません。

20年後にはみんな『学び合い』をしているかもしれないね(笑)と友達に言いました。

 

また、友達と話していて話題に上がったのが、授業の進め方です。国語で空書きとかやるんだろうなぁと友達は笑いながら言っていました。

僕たちが教師になってやろうとすることは、大体自分が受けてきた指導や授業を同じようにすることです。タブレットが配られたりしていますが、基本の部分はほとんど変わりません。

そう考えてみると、大学は一体何を学ぶ場なのでしょうか。昔と同じようなことを繰り返し続けるのであれば、大学はほとんど価値がありません。大学は、自分の人生で疑問に思ったことを、どうすれば解決できるのか、よりよくしていくにはどうしていけばよいのかを考える場であると思います。確かに歴史や過去から学ぶことは多いにあります。でも、なぜそれを続けなくてはいけないのか、変えていくべきかそうではないか、その議論がないことが多いです。その議論がなされず、昔から続いているものをただ学び続けているのは無駄なことだと思います。そして、そういったものにモチベーションが上がりません。だからその内容はほとんど覚えていません。

自分が所属しているコース、ゼミでは、上記の議論が多くなされており、学ぶものが多くありました。圧倒的に授業の内容を覚えています。そして、大学院生の先輩たちはチームで長期間連携校に入り、研究、実践をしています。学んでいることをすぐに実践に移しています。大学だけではなくて、実際に教師になったときにもすぐに大学で学んだことを実践できるようにしていける環境が必要だと思います。

 

こんなことを学食で話せるような友達がいるだけで有難いです。