今週の土曜日の全国『学び合い』フォーラムで、西川研究室として分科会を持たさせていただいています。自分は『学び合い』初心者の方向けに『学び合い』って何!?ってことをお話ししようと思います。
『学び合い』を考えるにあたって、徳ではなく得で考えるということはかなり重要なキーワードになります。でも、この徳と得を考えることはとても難しいです。
私が考えるになぜ徳ではなく得で考えるかというのは主に二つの理由があるからだと思っています。
一つ目は、徳だと強制力が働いてしまうからです。教師が徳で子どもたちに語ると、得を求める集団から外れてしまうことは悪になってしまいます。徳をするために我慢をしなければいけないことは誰しもが嫌だと思うはずです。
得であることを語るならばそこに強制力は働きません。西川研究室のゼミ生も西川先生から得だよと言われることはありますがそれを強制させられることはありません。だから本の執筆もやりたい人がやる形でできています。もししなかったとしても自分が損なだけかもしれません。別にそんなことをしたからと言って誰かの迷惑になるわけでもありません。損をしている人は悪い人でありません。
二つ目は、『学び合い』は長期的な視点で得だと考えているからです。『学び合い』は子どもの一生涯の幸せを願っています。一生涯の幸せは人とのつながり、しかも多様で多数の人とのつながりが保証してくれると考えています。だから学校が子どもたちにあげられる最大のプレゼントは同じ時を過ごした仲間です。
将来仕事を失ったとき、結婚相手を探すとき、助けてくれるのは知人です。その知人は自分と異質な方がいい。その知人を得るのに最も最適な場所は学校です。その学校で出会った仲間のために行動することは結局将来の自分に得になって帰ってきます。
徳ではなくて損得の得で考えることは一見意地汚いと考える人もいるかもしれません。僕も最初そう聞いたときは、ん?と思いました。でも、人間自分の得になることしかしていません。
徳という言葉はもともと得という言葉だったとも聞きました。得で考えることは幸せにつながることになるのではないのでしょうか。