子供達といるのはやっぱり楽しい。
明日は出張で1日授業ができません。
うまくいってもいかなくも、みんなと一緒に授業したい。
大学の授業で、自分の好きなことについて、なんでもいいから授業しよう、というものがありました。
僕は、ウェビングマップで自分の好きなことってなんだろうって考えたときに、「ワクワクすること」「サプライズのような感覚」というものがでてきて、それを授業にしようと思いました。
どんな授業だったかというと、「友達にロシアンルーレットを仕掛ける」という授業でした。
ただロシアンルーレットをやるだけだったら、面白いけど、ちょっと物足りないなと考えて、グループでロシアンルーレットを作るところから始めようと考えました。
僕は授業者として、ドンキで材料を集めてきました。それをグループにどの材料を使うか選ばせて、友達にどんな仕掛けをするかを考えさせました。大福の中に大量にフリスクを忍ばせる班や、ベタですがシュークリームの中にワサビを大量に突っ込む班がありました。先生には、あまりお金はかけないようにね(笑)と言われましたが、どんな風になるか想像するだけで、少しのお金ぐらいいいやと思ってしまいました。
僕は、ロシアンルーレットをやる時だけではなくて、ロシアンルーレットを作っている時のみんなの顔がいいなと感じました。相手が驚くためにはどんなことをすればいいだろう、と考えている時の顔が一番楽しいんですよね。
これって、今教師になったときにも生きているなと感じます。
子供たち自身がワクワクするのはもちろん、友達をワクワクさせるには、どうしたらいいかを考えさせる時こそ、子供たちの顔は生き生きします。
そのためのミッションを自分の感覚で立てます。
そんな授業をつくるときこそ、集中してニヤニヤしています。
「相手をワクワクさせるには?」
そんな授業をしていきたい。
あの時、フリスク大量大福を食べて辛い顔をしていた親友には、本当に申し訳ないと思っています。
集団の力を信じる。
それは簡単なことではない。
しかし、一人で考え動くよりも、集団にビジョンを示し、それに共感してもらうことの方が、長期的に見て得であることをひしひしと感じる。
先日、学校には来れるけど、教科の授業は入りたがらない子がいるのだが、ある友達の一言で、次の日の算数を一緒にやることができた。
「○○一緒にやろ!」ただその一言である。
廊下からみんなの様子を見て、みんなで学び合っている様子を見ていたその子も、本当はみんな何しているのか興味があるけど教室には入れないという感じが見えた。
そのとき、その一言で、その時間はできなかったけど、次の日には、みんなと一緒にやって楽しく学び合っているのである。
感動した。他の子たちも、その子をいつでも受け入れる空気をつくっているなと感じる。
さすが子供たちだなと思う。
教師2年目で、授業なんて全く上手くいかないことの方が多い。毎日できない自分を責めることの方が多い。
それでも子供たちが一生懸命やってくれる姿には感謝しかない。有難い。