ネットが発達してどこでも遠くの人と直接会わずに会話をすることができるようになったが、やっぱり直にその人と会って話さないと分からないことがあるんだなと身をもって経験しました。
相手の本当の気持ちというのは、声だけでは分かりません。
声だけだと、間違えて読み取って勘違いしてしまうことはあります。
相手のことを本当に分かりたいのならば、直に会って話す。
その大切さを知りました。
いつもお世話していただいている教務の先生との校門の落ち葉掃除から1日がスタートした。
「やっても誰も何も思わないけど、やらなかったら準備していないんだな、と思われてしまうんだよね。」
とおっしゃっていた。
それから校舎の階段の掃除、廊下のモップ掛け、教室の掃除をした。
ゴキブリはなんでそこでっていうような人の目に付くところで大々的に死んでいるし、階段には蜘蛛の巣が張っている。埃も被っている。
人が使わなくなると、さびれてしまうんだなと感じた。
この夏休み、予定があるとき以外はなるべく出勤するようにしていた。
研究授業の指導案作成や、2学期の準備を少しづつ行っていた。
でも、教務や教頭先生との雑談の時間が多かった。
雑談の中に、授業や学級経営に関するヒントがたくさんあったように思う。
教頭先生が読んでいる本を自分も読んでみたりもした。そういう雑談が、自分の中で研修になっていたと感じる。
この夏、特段何かをしたわけではなく、毎日同じようなことをしていたわけですが、少し自分が大きくなっているような気がする。本当に気がするだけだけど。
子供たちの顔を思い出しながら作業をしていると、2学期が楽しみだ。
ここ数日、SNSを見る頻度を少なくしました。
スマホが手元にあるとついSNSを見てしまい、そこから離れることができない状態が続いていました。
どのアプリケーションも顧客の時間を奪うようにつくられているので、そこにまんまとはまっています。
SNSを見ると、自己肯定感が下がってしまう時もあるなと感じていました。
しかし、SNSには利点もあり、遠く離れている人たちの志高い発信を見て自分の刺激になっています。
ただ、自分の本当に欲しい情報だけが来るわけではないので、そこにはまってしまうと、自分の時間の統制ができなくなってしまいます。
僕は高校生からスマホをもちましたが、今は小学校からもっている子もいますよね。小学生からスマホをもつのは、時間をあまりにとられすぎるので正直怖いなと思います。我々大人も時間をたっぷりとられているので。
SNSに触れないようにするだけでも、少し気分が良くなっていることに気が付きました。
落ちこんでいる時も、SNSで他人の切り取られた一場面を眺めるよりも、自分と向き合い本を読んだり運動したりすると、気分が安定するように感じます。
友達は、落ち込んだときこそ、筋トレや読書や勉強などなんでもいいから自分を高めた方がいいと言っていました。落ち込んだ時こそ、自分を好きになれと。
がんばっている自分を感じて、自分を好きになることはとってもいいなと思います。
また明日もがんばろう。
今日は研修で山を登りました。
行って帰って3時間。この暑い中、倒れるかと思いましたが、なんとか帰ってこれました。
なぜこんなにも暑い中、山を登りきることができたのか。
最近知り合った2年目の先生と、ずっとお喋りしながら登山していたからです。
過酷な道も、仲間がいれば乗り越えられる。
最近めちゃくちゃ悲しいことがありました。
相談にのってくれたのは、大学時代の友人、地元の友達です。
相当落ちこんでいましたが、その人たちのおかげで、今は少し気が楽です。
今まで、辛い経験を何度もしてきましたが、やっぱり仲間の存在が自分には大きいです。
困った時すぐに相談にのってくれる友達を、人生で得れたのは本当に大きい。
しんどい時のしんどい山。でもいつかはゴールが見えてくる。